▼delight:one



練習室の扉を開けると、そこに君はいた。今日の授業後、一緒に練習をしようと彼女 と約束をしたが急に用事が入り、彼女に「すぐ終わるから。」と告げ、練習室で待って いてもらった。だが、待たせすぎてしまったのか彼女は壁にもたれて気持ちよさそう に眠っている。よほど寝入っているのか、俺が近づいても起きる気配はない。そっと おでこにかかる前髪を撫でた。なぜだろう。とても愛しいとしか言いようがない。こん なこと以前の俺からは考えられない感情だ。ずっと独りで高みを目指していた。それ がいいと思っていたから。でも、その世界を瞬く間に変えたのが君だ。そばで微笑み かけてくれる君がいてくれたから。今を幸せだと呼べるのだろう。それにしてもまだ起きない。 このままでは練習も出来ないし、まだ肌寒い季節、彼女が風邪をひいてしまうかもしれない。 俺は肩をやさしく揺すった。


「香穂子、起きてくれ。」
「うーん・・・」
「風邪をひくかもしれない、香穂子、」
「・・・・すーっ」


困ったな。
だが諦めるわけにはいかない。


「香穂子。」
「うーっ・・うるさあい・・・」
う、うるさいとまで言われてしまった・・・。どうしようもないな。


「香穂子、香穂子、すまないが起きてくれ。」
「んー・・・好きって言ってくれなきゃ起きれないー・・・」



は?


今、何て言ったんだ?好きと言わなければ起きれない?香穂子は何を考えているんだ。 そんな恥ずかしいこと・・いや、でも、それで香穂子が起きるなら。耳元で囁こう。


「香穂子、好きだ。」「好き。」「好きだよ香穂子、」


何回か囁くと香穂子は勢いよく目をあけた。
「つ、月森くん、あの、冗談だったのに、」
「香穂子、起きていたのか?」
「月森くんが入ってきて目が覚めたけど、起こそうとする月森くんかわいいからつい寝たふりしちゃって・・・」
「まったく、君は意地悪だな。」
「でも月森くんのほうが意地悪だよっ!」
「俺のほうが?」
「あんなの・・反則だよ・・・」


真っ赤になった彼女の顔があまりに可愛らしいから、つい笑みをこぼしてしまう。そんな彼女と 目が合うと、彼女は小さな声で「私も・・大好きだよ・・・」と。俺は喜びに包まれている。君が 望むなら、何度でも何度でも君だけに伝えよう。




「ねえ、月森くん。一曲弾いてもらってもいい?」
「ああ、構わないが、何かリクエストはあるか?」
「アヴェ・マリアがいいな。」
「わかった。」
そうして奏でる。音色はいつも君のためでありたいと願う。弾く度に気づかせてほしい。君への想いが 溢れていることを。そして君も感じてほしい。俺のこの何にも言い換えようのない気持ちを。今日も君が 俺のそばにいるから、呼吸して生きてゆける。俺には君が必要だと、何度も何度も繰り返し、音に乗せよう。


びは


いつもこころから


律になり生まれる。